内閣官房長官・衆議院議員
菅 義偉(すが よしひで)

【 現 在 】

◆衆議院議員 8期 (自民党)

内閣官房長官
沖縄基地負担軽減担当大臣


【 略 歴 】

昭和23年 秋田県生まれ

法政大学 法学部卒
衆議院議員 小此木 彦三郎 秘書
通産大臣秘書官
横浜市会議員
自民党副幹事長
国土交通大臣政務官
自民党横浜市支部連合会会長
経済産業大臣政務官
国会対策委員会副委員長
総務副大臣
総務大臣
選挙対策副委員長
衆議院議員運営委員会筆頭理事
自民党組織運動本部長
自民党幹事長代行
自民党神奈川県支部連合会会長


【 その他略歴】

地震対策議員連盟 会長
創生「日本」副会長
せんたく議員連合 世話人
公団住宅居住者を守る会会長
政府紙幣・無利子国債の発行を検討する議員連盟 顧問

日本を資源大国にする勉強会 顧問
年金行政改革議員連盟事務局長
再チャレンジ支援議連幹事長
対北朝鮮経済制裁シミュレーションチーム座長
振り込め詐欺撲滅ワーキングチーム座長

不法滞在者対策水際チーム座長
マンション問題ワーキングチーム座長
公団住宅居住者を守る会会長
社会保険庁を解体し新しいシステムを創る会事務局長
治安対策特別委員会

党改革実行本部県連・支部改革部会長
政令市国会議員連盟事務局長
重粒子線医療促進議員連盟事務局長
自民党経済発展と環境を考える会事務局長

全日本つり団体協議会会長理事
NPO法人日本釣り環境保全連盟顧問
NPO法人日本釣り愛好者連盟会長理事
日本将棋連盟神奈川県支部連合会名誉会長
神奈川県早朝野球連盟会長
神奈川県綱引連盟会長
神奈川県サイクリング協会会長
メトロポリタン少年サッカー会長
横浜市ボウリング協会顧問
横浜市小学生野球連盟相談役
横浜市なぎなた連盟顧問
NPO法人横浜市手をつなぐ育成会顧問
横浜市柔道整復師会顧問

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◆血液型 O型

◆家族  
妻・息子3人マンション住まい

◆好きな食べ物 
甘いもの・めん類

◆アルコール 
全然ダメ

◆愛読書  
歴史もの

◆スポーツ  
学生時代は空手

◆趣味  
渓流釣り・ウォーキング

◆好きな言葉 
意志あれば道あり

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webテレビ「覚悟の瞬間」にて、
菅が自らを語った貴重な映像です。
ぜひ、ご覧ください!
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秋田生まれの青年が、
国会議員になるまでの道のりを語る
「すが義偉物語」
ぜひご覧下さい!

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 私は昭和23年12月6日、秋田県の農家の長男として生れ、高校まで秋田で育ちました。秋田育ちの私が横浜で政治に挑戦したのですから、まさに何もないゼロからのスタートでした。

 集団就職で上京してから2年後に大学に入り、卒業後サラリーマン生活を経て、故小此木彦三郎衆議院議員の秘書になりました。世の中を動かしているのは政治であることを肌で感じ、政治の世界で自分の人生を試したいと思ったのがきっかけです。地縁も血縁もない横浜の地で、あったのは確かな私の「意志」だけでした。

 11年間、今は亡き小此木彦三郎先生のもとで秘書として修行し、昭和59年通産大臣秘書官を務め、62年に横浜市西区から市議選に立候補しました。西区に住んでたった一年目、市会議長を務めたこともある大ベテランの自民党現職がおり、さらに三から二へと定数減という状況でした。世代交代を訴え、必死に「草の根運動」をしました。政治にかける私の情熱を理解して下さった「人の輪」が、当選に導いてくれました。38歳の時でした。

 横浜市議を2期務め、平成8年に、都市で生活する人々の声を国政に反映すべく衆議院選に立候補しました。若手論客の新進党現職、元社会党大物議員の2世らと熾烈な戦いを繰り広げました。ひるむことなく信念を貫き、多くの皆さんに支えられ、初当選させていただきました。

 あれから月日が流れ、12年には2度目の当選をさせていただきましたが、志は初めて政治を目指した時から何も変わっておりません。政治家には自分が国のため、国民のためと判断したならば、たとえそれが大勢に反しようが、確固とした信念を貫き通す「意志」が不可欠です。

 10年7月の自民党総裁選で、私は故梶山静六元官房長官を支持しました。当時自民党最大派閥の小渕派に属していましたが、今の日本経済を立て直すのに最適な政治家は、梶山さんであると思ったからです。派閥の領袖である小渕恵三会長を支持できない以上、小渕派を脱会するのが筋だと決断し、脱会届を提出しました。私の将来を心配し、思いとどまった方がいいと言って下さった方もいらしゃいましたが、古くから私の信条を知っていらっしゃる多くの方からは、「実に菅さんらしいね」とご理解をいただきました。

 どんな局面にもかかわらず、判断しなければならない時は、自分の信念を貫き通すのが最善の道と信じております。そしてその自負心は、時に逆境でもますます自分を強くしてくれます。

 10年10月に可決された「旧国鉄長期債務処理法案」でも、すでに民間会社になっているJRに負担を強いるのはおかしいと、政府案に反対の立場をとり続けました。結果は当初案の半分の負担という決着となりましたが、今でも私は額の問題ではなかったと思っております。

 12年11月のいわゆる加藤政局においても、資質に欠ける森総理は退陣すべきという信念を貫きました。選んだ責任がある以上、不適格であるならばやめさせる責任もあると考えたのです。そのときの内閣不信任案は否決されましたが、13年になってからの退陣に至る過程に鑑みるならば、早くから声をあげた意義は大きいと思っております。

 13年1月より堀内派に所属しております。そして、小泉政権のもとで、自民党副幹事長、国土交通大臣政務官、自民党総務、経済産業大臣政務官を歴任し、党においても、政府においても、自己の信念に基づき「正しい」と考えたことを筋を通して主張し続けています。

 15年9月の自民党総裁選では、総裁選の政策論争を活性化するとともに、世代交代を進め、私の持論である議員の73歳定年制を実現するために、若手を代表する候補の擁立に奔走しました。最後は一歩、力及ばず、推薦人を集めきれませんでしたが、この運動を一過性のもので終わらせることのないよう、次期総裁選に向けて「新世代総理を創る会」を結成しました。

 15年11月の衆議院選挙におきましては、皆様からの温かいご支援により、3度目の当選を果たすことが出来ました。皆様からの期待に応えるべく、頑張って参ります。

 どのような立場にあっても、正論を主張し、実現へ向けて行動を起こす。どんな状況でも信念を曲げず、意志を貫く政治家として、改革に取り組んでいきます。

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